甲状腺が原因で、物忘れや認知症が進んだ時は、『橋本脳症(はしもと・のうしょう)』かもしれません。
これは、『治る認知症』と言われており、きちんとした治療が望まれます。
元気がないときは、『甲状腺機能低下症(こうじょうせんきのう・ていかしょう)』かもしれません。 甲状腺ホルモンは『元気が出るホルモン』であり、このホルモンが少ない場合は元気が出ず、代謝も遅くなり、太ったりします。 甲状腺ホルモンが潜在[…]
認知症になる橋本脳症(はしもと・のうしょう)とは?
甲状腺の何らかの免疫異常をきっかけに起こる脳の病気を、『橋本脳症』と言います。
主な症状は、もの忘れや、認知症ですが、血液検査を行ってもしばしば見逃されることがあります。
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橋本脳症の発見の歴史
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橋本脳症は、約70年前に見つかった病気です
1966年に、Brain先生によって、世界で初めて橋本脳症が報告されました。
その後、1991年にShaw先生が、橋本脳症の特徴をまとめ、多くの医師が橋本脳症を診断しやすくなりました。
それでも橋本脳症の診断は難しかったですが、現在では、血液検査(抗NAE抗体の検査)をすることで、比較的簡単に正しい診断ができるようになってきました。
橋本脳症は1966年にBrain先生らにより初めて報告され、Shaw先生らにより命名された疾患概念である.
清水, 小児科臨床 71(6): 1035-1040, 2018.
世界初の橋本脳症の症例報告
甲状腺機能低下症の49歳男性に、甲状腺ホルモン治療を行っていたが、状態は次第に悪化し、幻覚・振戦(ふるえ)・興奮・精神症状の変化が起こっていった.
Brain, Lancet, 2 (7462), 512-514, 1966
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世界に橋本脳症の患者さんは何人くらいいる?
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世界中で、橋本脳症の患者さんは、人口10万人に対して2人くらいです橋本脳症はとても稀(まれ)な病気です。世界中でも、患者さんの数はとても少ないと言われています。橋本脳症の有病率は、人口10万人に対して2人くらいなので、確率としては、0.002%くらいと言えます。日本国内の甲状腺の病気の患者数が、500-700万人(人口1.2億人として、人口の4-6%)と言われていますので、『橋本脳症』と診断がつくことはとても珍しいということです。橋本脳症は、推定有病率が、人口10万人につき2人の稀(まれ)な疾患である.F. Ferracci, J Neurol Sci, 217 (2), 165-168, 2004本邦における甲状腺疾患の罹患数は500~700万人で、そのうち治療が必要な患者は約240万人と推計されます.日本甲状腺学会HP より抜粋
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橋本脳症の原因
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橋本脳症の原因は未だ不明です橋本脳症の原因はいまだによくわかっていません。しかし、何らかの免疫の病気であることはわかっています。つまり、『自分で自分の体を攻撃してしまった結果、橋本脳症になっている』と考えれています。実際に、自分の体を自ら攻撃しないように、免疫を抑えるお薬を使うと、橋本脳症が劇的に回復することがわかっています。
橋本脳症の原因は不明ですが、自己免疫が病因に関与していると考えられている.
Olmez I, J Neurol Sci. 2013 Aug 15;331(1-2):67-71
橋本脳症の年齢
20-30歳代と、50-80歳代で発症することが多いです。
橋本脳症は、子どもの病気というより、大人の病気です。
しかも、高齢者がもの忘れ症状で発症すると、認知症なのか、橋本脳症なのか、区別がつきにくいです。
その場合は各種検査が必要になります。
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橋本脳症の世界最年少は『2歳』
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アメリカでは、2歳でも橋本脳症を発症した報告がある
橋本脳症は、中高年での発症が多いですが、世界最年少の橋本脳症は、アメリカの2歳児での報告です。
日本では、5歳で橋本脳症を発症した報告があります。
本邦では、20-30歳代と、50-80歳代に二峰性に分布する.
米田, 日本臨床, 2015; 73: 603-606
13人の症例のうち、最年少は2歳、最年長は66歳であった.
13人の症例のうち、12人が女性であった.
Olmez I, J Neurol Sci. 2013 Aug 15;331(1-2):67-71
橋本脳症の5歳女児
急性脳症型を呈した橋本脳症の5歳女児例を経験した.
ステロイドパルス療法で著明な改善を認め、抗甲状腺抗体陽性、抗NAE抗体陽性であったことより橋本脳症と診断した.
清水, 小児科臨床 71(6): 1035-1040, 2018.
橋本脳症の症状
- 意識がなくなる
- けいれん
- もの忘れ・認知症
- 幻覚
- 精神症状
- 無気力・うつ症状
- 元気がない
- 筋力低下
- 手足のぴくつき
- 歩きにくい
橋本脳症の症状で最も多いのは、意識がぼんやりする症状と、けいれんです。
橋本脳症は、意識がなくなり、高熱が出るような激しい症状もあれば、もの忘れや認知症と間違えられるような症状もあります。
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橋本脳症のタイプの分類(医療者向け)
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- 急性脳炎型
- 慢性精神病型
- 小脳失調型
特に急性脳炎型は、ステロイド治療がよく効き、数日で劇的に回復する報告も多いです。
慢性精神病型では、認知症、もの忘れ、うつ症状、幻覚、が主な症状です。
小脳失調型は、ゆっくり進行し、脊髄小脳変性症(せきずい・しょうのう・へんせいしょう)などの他の神経難病と似た経過をたどることが多いです。
橋本脳症の病型分類
- 急性脳炎型(58%)
- 慢性精神病型(17%)
- 脊髄小脳失調症類似の慢性失調と錐体路徴候を示す小脳失調型(16%)
分子精神医; 13: 178-184, 2013
慢性精神病の特徴
- 認知症
- うつ・不安
- 幻覚・せん妄
- 興奮・不穏
米田, 日本医事新報, No. 4888, 2017.12.30 より抜粋
橋本脳症の小脳失調型の特徴
- 緩徐進行性で脊髄小脳変性症と類似した経過を示す
- 主な小脳失調は、体幹失調
- 歩行障害はほとんどに見られる
- 眼振は稀(11%)
- 小脳の萎縮は少ない
- 精神症状を合併(61%)
日本医事新報, No. 4888, 2017.12.30
橋本脳症の診断基準
- 精神症状・認知症がある
- 抗甲状腺抗体が陽性
- ステロイドで良くなる
もの忘れ症状があり、甲状腺の抗体(抗TPO抗体)が陽性で、ステロイド治療で良くなる場合は、橋本脳症と診断されます。
しかし、これらの条件がすべて揃っていない場合もあり、その時は診断が難しくなります。
診断が難しい時は、抗NAE抗体を計測します。
抗NAE抗体は、橋本脳症でなければ引っかからない抗体です。
- 急速に進行するアルツハイマー型認知症
- クロイツフェルト・ヤコブ病
- 抗NMDA受容体抗体脳炎
- 傍腫瘍性神経症候群
- ヘルペス脳炎
- インフルエンザ脳症
- パーキンソン病
- 多系統萎縮症
- 進行性核上性麻痺
- ビタミン不足
- 精神病(うつ病・統合失調症)
- 脊髄小脳変性症
- 薬物中毒(薬の副作用)
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『抗NAE抗体』が橋本脳症の診断のポイント
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抗NAE抗体が陽性であれば、橋本脳症はほぼ確定的
抗NAE抗体は、橋本脳症の50%で陽性になります。
50%でしか陽性になりませんが、抗NAE抗体は、特異度が高い抗体ですので、陽性であれば、ほぼほぼ、橋本脳症と診断できます。
ですので、実際の現場では、『認知症などの症状があって、抗NAE抗体が陽性であれば、橋本脳症』と診断される事が多いです。
抗NAE抗体は、感度50%だが、特異度は91%である.
岸谷, 日本臨床, 2013; 71: 893-897
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抗甲状腺抗体│抗TPO抗体│抗TG抗体│抗TSH受容体抗体
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まずは、抗甲状腺抗体(抗TPO抗体)で、橋本脳症を疑う
血液検査で、抗甲状腺抗体(抗TPO抗体、抗TG抗体、抗TSH受容体抗体)を測って、『橋本脳症の可能性が少しでもないか疑う』ことが大切です。
抗NAE抗体の方が、橋本脳症と診断しやすいですが、抗NAE抗体は簡単には測れませんし、仮に橋本脳症であっても50%しか抗NAE抗体陽性になりません。
まずは、血液検査ですぐに抗TPO抗体を測りましょう。
大きな病院であれば、抗TPO抗体は当日または翌日に結果が出ます。
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甲状腺ホルモンの値は診断に影響しない
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甲状腺ホルモンの値は高くても、低くても、橋本脳症の診断とは関係ありません
橋本脳症と診断するときに、甲状腺ホルモンの値が低い必要はありません。
橋本脳症の特徴
- 脳症を含む精神神経症状の存在
- 抗TPO抗体陽性(甲状腺機能異常は問わない)
- ステロイドの反応は良好
Shaw P, Neurology, 1991; 41: 228-233
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脳MRI│脳波│髄液検査│脳SPECTは曖昧
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普通の検査では、橋本脳症とは診断できない
橋本脳症の脳MRIは、異常がないことも多いですが、異常な所見が出ることもあります。
曖昧であるため、橋本脳症は脳のMRIを撮影しても、MRIだけで診断するということはありません。
脳波やその他の検査でも、曖昧な所見が多く、逆に他の病気と誤診してしまうこともあります。
診断のポイントは、抗NAE抗体と、ステロイドの反応性、ということになります。
橋本脳症の検査所見
- 脳MRI 異常なし(63%)
- 脳波 基礎波の徐波化(80%)
- 脳脊髄液の蛋白上昇(45%)
- 脳SPECT 血流低下(76%)
米田, Medical Practice, 2014; 31: 1766-1770
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橋本脳症は『治らない難病』と区別しにくい
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難病だったら治らないが、橋本脳症は治る可能性がある
橋本脳症は治り得る病気です。
ですので、他の病気ときちんと区別しなければいけませんが、神経難病ととても区別しにくい場合もあります。
他の病気と区別しにくい場合は、抗甲状腺抗体(抗TPO抗体)の検査をして、橋本脳症を積極的に疑っていく必要があります。
パーキンソン病や進行性核上性麻痺、多系統萎縮症と鑑別が困難な症例や、小脳性運動失調症のパターンをとる症例が存在した.
抗甲状腺抗体を提出することが橋本脳症を見逃さないために大切である.
神経治療学 35(6): S258-S258, 2018
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橋本脳症と粘液水腫性脳症は違う
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橋本脳症は甲状腺の機能は保たれるが、粘液水腫性脳症は甲状腺機能が低下している橋本脳症と粘液水腫性脳症とは、根本的に違う病気です。橋本脳症では、甲状腺ホルモンを補充しても治りません。ですので、両者は明確に区別して治療がなされます。
橋本脳症は抗甲状腺抗体陽性の自己免疫性脳症で、甲状腺機能低下症に伴う粘液水腫性脳症とは区別される.
脳と発達: 48: 45-47, 2016
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橋本脳症かヤコブ病かで予後が変わる
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ヤコブ病を疑ったら、橋本脳症の可能性がないか、検討するべき
クロイツフェルト・ヤコブ病は、認知症が急速に進行し、短期間で命を落とし得る難病です。
しかし、ヤコブ病の初期は、橋本脳症と区別しづらい症状が出ます。
ヤコブ病は、根本的に治る治療はありませんが、橋本脳症であればステロイド治療や免疫治療で完治する可能性があります。
ヤコブ病が疑われた場合は、橋本脳症の可能性は本当にないか、抗甲状腺抗体や抗NAE抗体を調べたり、場合によってはステロイド治療を試みる必要もあります。
亜急性に認知症と神経症状が進行するクロイツフェルト・ヤコブ病を疑うような症例の中には、治療可能な橋本脳症が潜んでいる可能性があることを留意したい.
日本医事新報, No. 4888, 2017.12.30
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治る認知症を見逃さないように(医療者向け)
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甲状腺機能だけでなく、抗甲状腺抗体の検査が必要甲状腺機能低下症による認知症(粘液水腫性脳症)のスクリーニング検査の必要性は、広く知られてきています。もの忘れであれば、一般的な内科でも、甲状腺機能のスクリーニング検査は実施されます。しかし、甲状腺機能で異常の見られない橋本脳症を拾い上げるには、抗甲状腺抗体の検査が必須になります。
疑わしい認知症の患者さんには、積極的な抗甲状腺抗体の検査が望まれます。
なぜなら、アルツハイマー型認知症であれば根本的な治癒は難しいですが、橋本脳症であればステロイド治療で良くなるからです。
日常診療において、TSH・fT3・fT4などの甲状腺機能検査だけでなく、血清中の抗甲状腺抗体(抗TPO抗体/抗TG抗体/抗TSH受容体抗体)も併せてスクリーニングすることが重要である.
日本医事新報, No. 4888, 2017.12.30
橋本脳症の治療
橋本脳症の80%がステロイドが有効です。
効く場合は、1-2日間のステロイド治療で、劇的に改善します。
- ステロイド治療
- 免疫抑制剤
- 免疫グロブリン療法(点滴)
- 血漿交換(血液を入れ替える)
ステロイド治療の他には、いろいろな免疫抑制剤、免疫グロブリン療法や、血漿交換のような『免疫反応を抑える治療』が橋本脳症に有効です。
また、橋本脳症は、甲状腺の病気がきっかけとなっているはずですが、『甲状腺ホルモンを補充しただけでは、脳の症状や精神症状が良くならない』ということも大切なポイントです。
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ステロイド治療
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ステロイド点滴がとても効く橋本脳症の治療の主役はステロイドです。橋本脳症の状態では、飲み薬を正しく飲める状態ではないので、点滴で治療していきます。落ち着いてきたらステロイドの飲み薬に切り替えていきます。
橋本脳症では、80%でステロイドパルス療法に反応良好である.
米田, Medical Practice, 2014; 31: 1766-1770
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ステロイド減量中の再発が多い
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ステロイド減量中は橋本脳症の再発も多いです
橋本脳症の診断がつくと、ステロイド治療が行われます。
はじめの数日間で劇的に回復することも多いですが、急に良くなる病気は、急に悪くなることもあります。
しっかり病気の勢いを抑えてから薬を減量しないと、再発する可能性があります。
大体、3割くらいの患者さんが、ステロイド減量中に再発すると報告されています。
橋本脳症は急性期治療反応後、ステロイド漸減中に30%が再燃する.
米田, 日本臨床, 2015; 73: 603-606
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橋本脳症に甲状腺ホルモン補充は無効
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橋本脳症は、甲状腺ホルモン補充をしただけでは治りません
橋本脳症は、甲状腺の異常で起こる病気ですが、甲状腺ホルモンを補充しただけで治癒することは難しいとされています。
甲状腺機能低下症を合併している橋本脳症に、甲状腺ホルモンを補充しても脳症の治癒は見込めないかもしれない.
Olmez I, J Neurol Sci. 2013 Aug 15;331(1-2):67-71
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橋本脳症治療の免疫治療(医療者向け)
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- メトトレキサート
- アザチオプリン
- 免疫グロブリン
- 血漿交換
橋本脳症では、ステロイドがよく効きます。
しかし、ステロイドは長期で使用していると、副作用に悩まされることもあります。
ステロイドを長期使用する場合の副作用を少しでも和らげるために、メトトレキサート・アザチオプリンという免疫抑制剤も加えて、ステロイドの総量を減らして治療を組みてていく場合もあります。
上記の治療は、いずれも保険適応外の治療となります。
ステロイドの長期的な副作用を回避するために、メトトレキサート・アザチオプリンなどの代替治療を選択した.
P.R. Castillo, Neurology, 62 (10), 1909, 2004
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橋本脳症の治療の実際(医療者向け)
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ステロイドとともに、感染を抑える抗生物質や抗ウィルス薬も同時に投与する
橋本脳症の主な治療はステロイドですが、治療開始する時点では橋本脳症の診断はついていないことが多いです。
なぜなら、ステロイドに劇的に反応して、初めて橋本脳症を疑う場合も多いからです。
しかも、ステロイド自体が免疫を抑える薬なので、橋本脳症ではなく感染症であった場合に、ステロイド治療だと『感染症治療と真逆の治療』をやっていることになります。
橋本脳症は意識障害と発熱で発症する場合もあり、細菌性髄膜炎やウィルス性脳炎と区別がついていない段階で、ステロイドのみで治療することは大変な危険が伴います。
ですので、橋本脳症の患者さんの初回治療は、ステロイドだけでなく、感染治療も併せて行うこととなります。
12歳女児の橋本脳症の症例報告
意識障害、光熱、項部硬直を認め、感染性髄膜炎を疑い抗菌薬、アシクロビル、及び、デキサメタゾン投与を開始.
日本内分泌学会雑誌 96(1): 375-375, 2020
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重症の橋本脳症はICUで管理
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重症の橋本脳症は、けいれんの発作が重なります
橋本脳症は重症化すると、けいれん発作が連続して起こります。
その場合は、ICU(集中治療室)でしっかりとした管理が必要になります。
時にけいれん重積となりICUでの管理を必要とする例がある.
日本医事新報, No4875, 61; 9, 30, 2017
高次脳機能障害の後遺症とリハビリ
橋本脳症は、高次脳機能障害(こうじ・のうきのう・しょうがい)を残すことがあります。
高次脳機能障害の後遺症が残ると、集中力がなくなるため注意力が乏しくなったり、処理速度が落ちたりします。
そうすると、元々の仕事に復帰するにもリハビリが必要になります。
リハビリでどの程度回復するかは、治療前の状態や、治療(特にステロイド治療)がどのくらい効くか、によります。